結婚なんてしなくていい。

というのを、私は最近になるまで知らなかった。

 

28歳。出身も今の住まいも都会だからか、周囲から結婚の話題が上がるのは遅い方だった。それでも一人二人とめでたい知らせをもらうことがあり、出産をした友人もいる。職場の先輩は二人とも二児の母で、生まれる前からの付き合いだというのにそろそろ上の子は小学校に上がると言う。だから私にとって結婚という話題は日常的なものとして常に側にあった。

しかしそうでありながら、「結婚」の二文字は私と何らリンクしないまま、距離だけ近くそこにあった。

私にとって結婚は「いつかしなくてはいけないこと」だったのだ。

 

子供の頃、私は平凡な人生を歩むだろうと思い込んでいた。

平凡な人生とはつまり、二十代で結婚と出産をすることだ。平凡平凡というけれど、この頃の私にとって平凡ほど重要なものはなかった。安定を求めていたし、それでいて私にも手が届く絶対的な将来像だった。だけど「そうしたい」と思ったことは、振り返ってみると一度もない。

母子家庭であまり親に苦労をかけられない状況のせいもあると思うが、小学校高学年くらいからの私の将来設計は、短期大学を出て事務職員として稼ぎを得ることというなんとも無難なものだった。

今思えば「何をそんなに下を向いているんだ」と声を掛けたくなる俯き具合だが、しかし自己肯定感の非常に低い子供だった私は、それ以上のことなんて自分が出来るはずもないと信じていた。

その上、私は世間一般の「普通」に恐ろしくこだわっていた。普通でなければいけないし、普通であれば安心だと思っていた。

だから結婚も、するべきなのだからするのだと思っていた。出来ると思っていたのだ、全く興味も夢もないけれど。

 

だが、実際結婚適齢期になってみると、驚くほどに結婚をしたくないのだ。

するべきなのはわかっている。だけど本当に、心の底からしたくない。してもいいかな、と思える理由が一つもない。ただただ、「普通」は結婚をするから、それだけの理由で結婚を考えている。それに気付いたとき、私は結構絶望したし、苦しんだ。

あと一年経てばその気になるかもしれない。来年なら、もっと先なら。

そうして先延ばしにして「本当に結婚はしなくてはいけないのか」と疑問が浮かんだのはつい最近のことだ。

 

結婚について嫌なことはいくつかある。

でも一番の理由は「興味がない」ただそれだけだ。

しなくていいならしたくない。子供を望んでいないし、今の収入でも将来への備えは出来る。キャリアアップを目指して努力するのは嫌いじゃない。

なら、それでいいじゃないか。そう思えたとき、私は長らく自分を痛めつけていた苦しみから解放されたような気がした。

 

結婚なんてしなくていい。

嫌なことはしなくていい。

社会への貢献は働いて為せばいい。

いつか家族が旅立ち一人になったとき、寂しくなったら連れ合いを探せばいい。

 

そんな私は、間違ってなんかいない。

 

私はそれを声を大にして言いたくて、その上でいろんなことを話したくて、こうして筆を取ることにした。